ひとりが好き2

少し前、テレビ番組で、
無人島でひとりで生活しているおじいさんのことを取り上げていました

番組を見ながら、すごいな~、この人
こんなこと出来ないな~
なんて人ごとみたいに思っていたけど、
途中から、なんだか思い当たる節があったり
はっとする場面、エピソードがあったり、目が離せなくなりました
気のせいかもしれないけれど、
なにかが似ているんだと感じました

うまく言えないけれど、
若い頃の再現ドラマでは‥
いろいろな仕事に就いても、必ず人間関係につまづき、長続きしない‥
職場を転々と変えながら、どこにも自分の居場所を見つけられない
(そんなのは思い当たる人がたくさんいると思うけど)
仕事場での人間関係を詳しく掘り下げたりはしていなかったし、
大雑把に作った再現ドラマのようなものを見ただけだけど
なんとなくその部分にも、もしやって思うところがありました

TVスタッフの人がインタビューで、「なんでこの島に来たんですか?」って聞いたら、
はじめ、「なんでって‥交通手段ってこと?」ってまじめな顔して聞き返してた 笑
スタッフの人が「いやいや!」って笑ったら、すぐににっこり「ああ、理由か」なんて‥ふふ
ぷっと吹き出しながら、この人、やっぱりアレなんじゃ‥

40歳くらいで結婚もして‥
奥さんと2人の子ども‥
幸せな暮らしのように見えるのに、
本人はどこか上の空‥
そのあたりの再現ドラマ見ても、なんか人ごとには見えなかった
ここにも居場所はなかった‥
「離婚して」と言い残し、旅に出る‥
う、なんてことを‥無責任にもほどがあります

きっと奥さんにしてみればとんでもないこと
奥さんについても詳しく描かれなかったのでよくは分からないけれど、
奥さん、とても大変だっただろうな

そんな風に思いながら、
でも私はこの男の人の気持ちがなんとなく分かるように感じてしまう
この人にはものすごく悪気がない
なにか‥分かってないんだ、そういうこと考える機能がない
純粋に、自由になりたかった
子どものことより自分の居心地のほうが大事なんだね ふふ

いや‥とても簡単に大雑把に振り返っただけのものだったから、何もわかりませんね、
描かれていないところに、たくさんのドラマがあったかな
もしかして、苦しみ考えた末の決死の決断なのかもしれません
勝手なことばかり言って‥
実像と全然違っていたらごめんなさい

今は無人島でひとりで暮らしている
もう20年にもなるって言ってたかな
やっと居場所が見つかったみたい
真の自由だって
(過酷なこともたくさんあるけれど)

最後、取材が終わって、無人島から手を振るおじいさん、
すっぽんぽんで暮らしているから、モザイクがかかってたけど 笑
とてもかわいらしい笑顔をしていた
なんだかとても印象に残った柔らかい笑顔
この人は、とても素直に生きることを選んだ
みんなにいろいろ迷惑もかけながら、素直に生きて、幸せそうに笑った

待ち遠しい

ここ数日、少しうきうきとした気持ちでいます

とてもいいブログを見つけて

同じ病気の方のブログですが、リアルタイムに日記のようにつける形式ではなく、
経験してきた過去のことを思い出しながら
少しずつ、物語のように綴られています

素朴でかわいらしい人柄がにじむ文章が気に入っています
内容は苦しいものですが、一緒になってつらくて涙が出たり、
最近では少しずつうきうきする展開になってきて、
その嬉しさに、また涙が出てしまったり、
ふふ‥入り込みすぎ^^;
そんな熱中しやすいところがあります

内容に引き込まれ、更新されるのが楽しみな日々です

連載の小説を読むような気持ちです
病気から、脱出できるのかな、ドキドキ

本当に少しずつ小出しにされるので
ああ、早く先が知りたいです‥もう、いけずだなぁ

調子に乗ってた

このところ、母と話すことが多くありました

自分の気持ち、思いをたくさん伝えることができ、
これまでの思いを全部受け入れてもらえて、
本当の私を知ってもらえたような気がして
とても嬉しい気持ちになりました

ですが、やっぱり何かを忘れていて
私は調子に乗っていました

優しく、大事に接してもらい、
自分が少し偉い人間になったと勘違いしてしまったのかなぁ

本当の自分を知ってもらえたように思ったけれど
本当の自分はどんな自分だろうと分からなくなり‥

母が今まで見て、感じてきた私
それがやっぱりまぎれもない私なのに
バカでわがままで考えなしで思いやりがなくて
そんなのが自分なのに
どんな自分になれたと思ってしまったんだか

やっぱり私は絶望してるくらいが調度いい

気持ちを聞くということ

ごく小さい時から、人の悪口を聞くことが下手でした
小さい頃は、それは悪いことではないと思っていました

ですが、大きくなるにつれ、大人になるにつれ、何かが違うと感じるようになりました
人との付き合いをするうえで、悪口は避けて通れないものだと感じました
いつも悪口との付き合い方につまづく自分がいました

自分は、悪口が嫌いだから聞きたくないのかな
人間ならときには悪口の1つくらい出てくるものだし、
さらっと言えて、さっぱりしている、
それくらいの方がバランスがいいとも感じました
実際、私は、悪口を言っている人を嫌いだと思うわけではなかったし、
友達が悪口を言ったら
否定ばかりしてしまう自分は何か間違っている、
それを受け止めてあげることも出来ないといけないと思うようになりました
でも、大人になった今も、悪口をうまく聞くことがなかなか出来ません

悪口を聞くのが下手というのは、複数人でその話を聞くときに思い知らされます
自分以外の人たちはみな、すぐにその話に共感することが出来ます
詳細を聞くこともなく、
「わかる、わかる!」「それ、ひどいね!」「そういう人、いるよね!」というふうです
みなが、その反応をすると感じます
違う意見の人がいないか探しますが、あまり出会うことがありません
私だけが取り残されてしまいます

私はいつも、共感することが出来ません
悪口を言われた人の、行動の、悪さが分からないことが多いのです
全員が否定している行動の悪さを認識することが出来ない
私もその行動をしてしまうだろうし、悪口を言われるに違いない人間です
その悪口が終わるまで、私はとても居心地の悪い思いになります
悪口を言われている人に感情移入してしまうこともとても多いです
確かに、その行動はちょっとまずいな、とは思ったとしても、
そんなことを堂々としてしまうその人って面白いと思ってしまう
何かほかに事情があったのではないか、そちら側の意見も聞いてみたい、
といった具合です
一生懸命その人のために弁解のようなものまで探してしまったり、
はっきりとした事実関係が分かるまでは、感想の述べようがないとも感じます

そのことについて、以前に母と話をしたことがありました
その時に母に言われてはっとしたことがありました
「みなは、話し手の気持ちを聞いている」ということでした
私と話をすると、2人で話しているのに、途中でどこか遠くに行ってしまったように感じる
とも言われました

目からウロコが落ちたように思いました
そうか、みんなは話でなく気持ちを聞いてあげているんだ

私の場合はきっと、話の内容だけに集中してしまうのかな、
一番近くにいる話し手の心に寄り添うことが出来ないんだ
どういうことだろう、この部分はどうなんだろう、いつも詳細を知りたいと
感じてしまいます
一方だけの意見ではなく、相手側からの意見も聞きたいと考えてしまいます

そんな私とは違い、ほかの人たちが、ほんの少し話を聞いただけで、
どんどんと共感的な言葉を出せることに驚き、圧倒されてしまいます
詳しい内容も分からずに、安易にそんな反応が出来ることに不信感を抱いたりもしていました

ですが、そうではなくて、気持ちを聞くということ

気持ちを聞くということにとって、事実がどうだったかは
それほど重要なことではないのかもしれない
そのことに初めて思い当たりました

私は話の途中でどこかにいなくなってしまう‥
話し手の心から離れて、私はどこへ行ってしまうのか
話の内容‥物語の中に入り込んでしまうのかな、
いえ、ではなく、自分のことばっかりをまた考え出してしまうってことなのかな
話し手の気持ちどころか、相手の方に感情が入ってしまうなんてもってのほかですね、
話をする人にとって、なんて居心地悪く、むなしい思いをさせる聞き手だったでしょう
どうしてそうなってしまのか
まだ考えきれてないことも多く、ここまでです

気持ちを聞くということ、そのことを初めて知ることが出来、
自分が話をする時も、そうしてもらっていたことに気がつきました
そうしてもらうことで、救われていた自分のことを思い出しました
そんなことを自然に知っていたみんなのすごさも感じます
そんなことを今まで知らない自分の未熟さも思い知らされます
私にはそれができるようになるかな、
そうしたらみんなにもう少し近づけるのかな、

新年

あけましておめでとうございます

いつの間にやら年が明けてしまいました。。

昨年、12月は、ちびちゃんが風邪をひいてしまい、
家族も次々とダウンしてしまいました
とてもつらく、しつこい風邪でした
自分の決断の出来なさ、いろいろのことの出来なさ、
頭の悪い自分のせいで風邪を長引かせてしまっている
この風邪は一生治らないかもしれないと絶望的な感じがしていました

でも風邪は治って、ちびちゃんの熱が下がり、元気な顔になったとき、
本当にうれしかった、よかった‥大げさですね 笑
家族もみなだいたい回復しましたが、
ふと 
自分自身のことで気になることが、脳裏をかすめ
頭からはなれず、考えることをやめられず、
ほかの事が手につかず‥
そんな風でなんだかぐちゃぐちゃと過ぎてしまった年末となりました

年賀状‥手がつけられず今年は出せませんでした

年賀状を、私なんかが出し続けていていいのかが分からなくなったのです
なかなか複雑に混乱しきった脳内でしょうか‥(*ヮ*;)
優しく、繊細な、昔のお友達もいて
出さないことが何らかの負のメッセージのようになってしまったり、
心配をかけてしまったら、とても不本意だし、申し訳ないとも感じてしまいますが、
ただ純粋に私のことを忘れてほしいだけです

ふふ 新年早々、暗いあいさつになってしまいます‥^^;
いつものことですね、
相変わらず問題が山積みな私ですが、
「それで順調」‥べてるの向谷地生良さんの言葉をお借りします
今年も一年、一生懸命うじうじ悩んで生きたいと思います

よろしくお願いします

苦しい

情けないけれど、
精神状態のよくない日々が続いています

疲れたと思ってしまう
そんなに疲れているのかな、休む時間もちゃんとあって
そんなところを見られれば、そんなに忙しいものか、と叱られそう

だんなさんと喧嘩してしまって
とてもくだらないこと、
夕飯のメニューにちょっと文句を言われて怒ってしまった

やり場のない思いがこみ上げて泣きたくなってしまうけど、
泣く場所が見つかりません

誰かに聞いてもらいたいのかな
でも誰にも言える人なんかいなくて、
悪い思いがあふれそうに胸にたまっていて、苦しいです

好きな歌は何ですか

若い頃、とてもミスチルが好きでした
曲と桜井さんの声がとても好きで、本当によく聴きました

子どもが出来た頃から、音楽をゆっくり聴くなんてことがすっかりなくなってしまって、
この頃はどんなアーティストがいて良くて、どんないい曲があるのか、まったくさっぱりです
テレビなんかでよく流れる流行の曲なんかのさびの部分が少し分かるくらい‥

子育て中だからってこれくらい音楽から遠ざかってしまう人もめずらしいでしょうか‥
それだけ要領が悪いんですね、
ミスチルの曲でも最近のものはよく分からない始末です


ミスチルの曲の中で一番好きなのを‥と言われたら本当に迷ってしまうけど
(誰にも聞かれていないけど)
とても好きな曲、ちょっと特別に思い入れのある
「終わりなき旅」

この曲を聴くと、いつも泣いてしまいます
なぜだか‥自分でも分からないくらいに涙が止まらなくなってしまいます
とても汎用性の高い歌詞だと思います
いろいろな状況、立場の人が聴いて、感じることの出来る詩ですね、きっと
多くの人が自分のことに置きかえて、自由な意味でとらえ、励まされたりするんではと感じます

私がなぜこんなに泣けてしまうのかな、
好きな部分はたくさんあって、
お気に入りのフレーズやメロディーはほかにあるんですが
いつも涙が自然にあふれ、止まらなくなってしまう部分‥

誰の真似もすんな 君は君でいい
生きる為のレシピなんてない
ないさ


私たちは生きることがとても難しい
どんな人でも簡単に生きてなんかいないと思うけれど、
やっぱり私たちは普通の人より余計に生きづらい
(もっとずっと大変な人たちが聞いたら怒られてしまいますね、ごめんなさい)
みなが悩み苦しむその遥か前段階、
びっくりするくらい何の障害もないような場所でもがき苦しんでいる
登山をするのに、山のふもとまでの平地を歩く段階で転んでばかり、歩き方を忘れてしまって
スタートまで行くことが出来ない
むしろ、平地を普通に歩くことが最も難しく

だからいつも必死に何かのやり方を探しています
いろいろの細かいレシピやテクニックを一つ一つ習って、いろいろやってみなくては
やってみては、また失敗、あきらめ、思い直し、また練習‥のくり返し
そんな風に何でもないことのレシピを学んだり、練習したり、
普通の人たちの真似をしたりを、これからもずっとやっていくしかないと分かっているけど

頭とは裏腹に、いつ聴いても、立ち止まってしまう
突然心がギュッとなって、涙があふれ出て
その涙に驚いて、また泣いてしまいます

母の姿

母が入院していて、その姿を見るごとに感じていることがあります

この10年ほどの間に母は何度も入院をしました
大病もしたし、いろいろと悪いところが多く、虚弱体質だなと思います
痛みに弱くて、精神面も弱いところがあって‥
こう言うと私と共通するところもあるようにも感じますが、
また私とは全然違ったタイプです

入院するとき、母はいつもギリギリの精神状態になっていたことが多かったです
たいてい体の痛みやつらさ、不安感でいっぱいいっぱいになっていました
はじめに病室に付き添い、主治医の先生なんかに話すところを見ると、
痛み、つらさを素直にそのまま訴え、先生のペースでなく、自分のペースで、何もかもを伝え、
ありのままの自分を全部さらけ出していると感じます
とても謙虚な話し方ですが、先生が困っていようが話は続け、言いたいことを全部言っている

私なんかは、先生が困ったような顔をしたり、少し怒ったようになったりすると、
ああ、もうそんなに言ったら厄介者だと思われて嫌われちゃうよ、ハラハラしてしまうんですが、
母はお構いなしに続けます
母のつらさもそっちのけで、そんなことを心配してしまう私のほうがきっとおかしいけれど

でも、そうしてやっぱり、母が最初は必ず病棟の問題児のような感じになってしまっているのを感じ、
私はとても悲しいような、つらい気持ちになったりしてしまいます
時には厄介な人だな、という風にあしらわれていたり、先生たちには怒られていることも多いのです‥;

ですが3~4日、1週間と経ってくると、
いつの間にやら、母は病棟の人気者のような感じになっています
病棟のスタッフのみなさん、周りの患者さんたちみなと仲良くなって、
母が病室を出て病棟内を少し移動しようと思えば、わらわらと会う人会う人が集まってきて
進むのもまままらないくらいなこともあったり‥
みなさん、心から母のことを心配し、気遣って優しい言葉をかけてくれると感じます
母も十年来の友人と話すみたいに、親しげに話しています
先生方なんかは、母を叱るような話し方は変わらないですが、とても愛情ある、わが子を叱るような‥
出来の悪い子はかわいいというのでしょうか、
特別に親身になって母のことを考えてくださるとさえ感じます
母もとても素直に話を聞いています
先生ごめんなさい、と何度言っても、結局またしかられることを言ってみたり
叱られることが好きみたいに、叱られているときの母は生き生きしているようにも見えます^^;
自分が言いたいことを全部言う代わりに、
相手の言葉もちゃんと素直にそのまま受け止めていると感じます


母の人との付き合い方‥
母自身は別に何か考えがあってやってるわけではなくて、そうしか出来ないだけでしょうが、
私にはとても不思議で神秘的でまぶしく、こうして自分と比較しては
いろいろなことを考えさせます

どうしてこの人の娘が私なんでしょう
遺伝子が‥どんなふうに間違ってしまったのか
ふふ そんなことはどうでもいい

私がいつも最初に感じる、そんなことは言ってはいけないのにと思う焦りや心配は
本当はまったく的外れで
それこそが一番言わなくてはいけない大事な言葉
自分の本当の気持ち

いえ、的外れと言ったけど、本当の気持ちやありのままの姿を見せるということは、
やっぱり嫌われたり鬱陶しく思われたりすることにつながりやすいかもしれない
そのあとの巻き返しは母の人間性ですね、
私にはそこがないから、最初の一歩もやはり怖いです
きっと真似しようとやってみても、まず嫌われて、巻き返せず‥‥い、いやこれではいつもの
結論のないぐるぐる思考ですね

つまり人が人と付き合うってことは
そうするしかないんだと、母は教えてくれていると感じます
嫌われてしまおうが、変な空気になろうが、本当の自分をちゃんと見せなければ、
人が人と、人間同士付き合うってことは出来ない


私は自分が変なのに、それを知られたくなくて隠そうとばかりするから
相手だって私にどうすればいいかも分からない
どんなに変だっていつもちゃんと私でいなければ

人と付き合いながら生きていくということ
それは人に嫌われる勇気を持って生きるということ

どっと押し寄せる

疲れてくると、ダメな考えばかりが
頭をぐるぐる回るようになる

ここのところしばらく忙しい日が続いている
母が体調を崩し、長いこと苦しんでいたのに
いい判断をしてあげられなかった

結局入院となり、ひとりになった兄が心配だけど、
食事を作りに行く‥その間ちびちゃんを見てもらったりでお世話にもなる
少しはなごんでくれてるのかな、でも私自身はうまく話をしたり、話を聞いたりだって出来ない
会いに行くことを負担に思ってしまう自分もいる
そんな自分に自己嫌悪もあるし、何をやってるのか、兄の助けになっているのか‥

毎日、脅迫観念みたいに、ちびちゃんと公園に行って、近所の子と遊ばせる
お母さんたちとも少しずつコミュニケーションする
そんなつもりはなかったけれど、一番苦手なことなのに、何を必死にやってるのか
何か変に思えてきたり
おかしな行動がたくさんあったし、あんなことしなければよかった、
言わなければよかった、が頭をぐるぐる回る

ちびちゃんが来春から通う幼稚園にもときどき顔を出し、
少しずつ慣れさせたい‥
何度か通って最初のうちは、(薬も飲んでいて)当たり障りなく失礼なくそれほど
おかしくなく出来ていたように思ったけど
だんだんボロが出てきたような気がするし、あの人にもあの人にも変な目で
見られたような
今思えば、あの時ああすべきだったとか、幼稚園のシステムがよくわからず空気もよく読めない
だんだんどう振舞えばいいかが分からなくなる

毎日、母の病院に行き、母の話を聞いたり、何か言うけれど、いつも何か余分なことを言ってしまい
ばかっと頭を殴りながら帰る
病院の職員の人たちとあいさつしたり、入院時はいろいろ話をしたけれど
おかしなことを言ったり足りないことがたくさんあったし‥
薬を飲んだからってまかなえない私の欠陥部分を思い知らされ、途方のない不安が押し寄せる


そんな風に感じてはいなかった
忙しく、バタバタと、何も考える暇もなくやっていた
けれど少し疲れがたまってきたのかな、身体とこころが、ふと疲れたと
そう思うと
突然、わっと押し寄せる失敗の記憶と不安と‥
混乱してきている
パニックになってるかな
つらい、つらいと考えてしまう
本当はそんなにつらくない、大丈夫、すぐ大丈夫になる

また1つ

SADと診断を受けて
もう10年ほどにもなったかな

少しずつでも方法を見つけ、前進していくことをイメージしたけれど、
実際には逆のような感じです

1つずつ、1つずつ、出来ることが少なくなっていきます

3年前、5年前を思い出すと、意識せず自然に出来ていたんだなと思うことが
今は出来ない
出来ているときは、意識していないから出来ていて
それが1度うまく出来なかったり、突然意識してしまったり、
失敗をしてしまったりという経験をした瞬間から
もう2度と自然には出来ません


人前でうまく笑うことが出来なくなった
友達同士での会話の仕方が分からなくなった
何も考えず、近所を自然に歩くことが出来なくなった
長い時間、笑い続けることが出来なくなった
人の子どもににっこり話しかけたり出来なくなった
人の目がある場所では自分の子どもとも遊ぶことが出来なくなった
仲のよい友達と、リラックスして話すことが出来なくなった
一番上の兄と、リラックスして話すことが出来なくなった
二番目の兄と、リラックスして話すことが出来なくなった
母と、リラックスして話すことが出来なくなった

SADだと診断してもらって、いろいろな恐怖症を自覚する中でも
まだはじめのうちは出来ていたことも多いです
薬を飲んで、頭を少しぽーとさせていれば、だいたいのことは出来るようになりますが、
薬を飲めば体がとても疲れるし、毎日飲めば、効き目も悪くなりたくさん飲まなければいけなくなるのが気がかりとなります
週に2日でも薬を飲まないでいられる日をつくりたいけど、
細かいことも出来なくなってくると、飲まない日をつくることも難しくなってきました

あと何が出来なくなっていくのかな

薬を飲まないでも出来る事


スーパーで買い物すること
家族で馴染みのない公園に行って遊ぶこと
セールスの人なんかと(まったく知らない人と)玄関先なんかで少し話すこと
家の中でひとりで過ごすこと(今はあまりないことだけど)
家の中でこどもとリラックスしていること
家の中でだんなさんとリラックスしていること

イベント終わって

イベントに参加させてもらうことになり、
1月末はそのことで頭と体がいっぱいになっていました
イベントが終わって
サボってしまった分の家事を取り戻さないといけないのに、それほど頑張れず
しばらくぼやぼや~と過ごしてしまいました
弱っていたか、風邪ももらってしまい、久しぶりに本格的にダウンしてしまったり

本当はそんな場合ではなくて、引越しがあったり、上のムスメが中学に上がるので
その準備だったり、忙しくテキパキとやっていかなければいけないけど うう


なんだか元気が出ず
気持ちはまだ少しイベントをひきずっているかな
急に社会とかかわったりすると、やはりこころが疲れてしまいます
イベントではみなさんとてもテキパキと働いているように見え‥
私はといえば、なんだか失礼があったり、とっさの判断がうまく出来ずで、
いろいろ失敗も多いです
薬のせいで(何かのせいにしては、いけません、自分のせい‥)テンション間違え、
バカバカと後悔もたくさんです

うれしい話も少しいただき
ですが話が聞きたいと思っても、なかなか一歩と踏み出せず
コミュニケーションが苦手ですから
きっと不快な思いをさせてしまうイメージばかりが頭をよぎってしまいます

しばらくの間はこうして、失敗やらにうなされたりで
気持ちの安定しない日が続きますが
またきっと元気になれると思います

やるべきことを、ひとつひとつやらないと
ゆっくり、ゆっくり、生活すること、家族と一緒に暮らしていくこと、
それが私のすべてです

おじゃる丸

おじゃる丸のエンディングテーマを初めてじっと聞きました

いつも子どもたちが見るのでついていて、なんとなく知っていた曲だったけど
夕飯の準備だったりで忙しい時間なので、ちゃんと聞いたことがなかった

ふと、歌詞にくぎづけになって、すっとこころに入ってきて、涙が出ました


歌詞は載せてはいけないみたい‥残念 でもこちら‥


人は、生まれて、そして、死ぬ、それだけ
今はその、途中
死ぬまでのただの道のり
どんな風に生きてみてもいい
みんなと違っていてもいい

どんな人も、ゴールは死ぬこと、たどりつけない人はいない
それまでのすべてのことは、途中
ゴールに思えるなにかも、全部ただの道のり
そんな風に考えれたら、こころはとても自由に
道のりはどんなだって大丈夫
せっかくだから自分らしくいきたいな

いつも、こうでなくては、こうでなくては‥でもうまく出来ない自分に
そうでなくても大丈夫だよ、
おじゃる丸が優しく言ってくれた気がして、とてもこころにしみました


人生はおさんぽ
ふらふらと、いろいろなことを探しながらゆっくりと歩こう

自分のことはどうでもいい

機嫌が悪い人や、元気のない人を見たら

みんなは
何かあったのかな、
大丈夫かな、と考える

ワタシは
ワタシが何かやらかしたのかな、
ワタシのせいで落ち込んでるのかな、
ワタシ嫌われたのかな、と考える

みんなは
その人のことを心配してる

ワタシは
自分のことを心配してる

怖いのは

気持ちが上がってしまう自分


こころは分厚い服を脱いで、薄着になって、軽々とはしごを登る
ふわふわと軽いこころ、楽しい気持ち、ふゎっと外へも出ていきたい

ですが、無防備な薄着なこころでは少しの衝撃がとても痛くて
不安定なはしごはすぐに倒れて下まで落ちてしまう

はしごのとても上の方から落ちてしまったら
大きな怪我を
こころはボロボロとなって、痛くて痛くて、修復にはとても時間がかかる

疲れてる

あたまの中を疲れたという言葉がぐるぐると回る

とても疲れやすいと感じるこのごろ
体が疲れ、「あれをやって、次にこれを‥」詰め込みすぎるとすぐに頭が疲れて
そうすると感情がうまく上手に働かなくなってあふれ出す
立て直そうともがいてもがいて‥
こころが疲れてしまう


今は気持ちが沈んでいて上げられずとても苦しい

くり返し、くり返し、やっていることで
少しづつ、自分の展開の仕方も分かってきてもいます

もがいても、どれだけずっと考え続けても、解決が見つけられず
どんどんと下がり続けて
疲れて疲れて
最後にはどうしても死です


抜け出てしばらく
死ななくていい、死ぬんではなくて生きると考える
少し楽になり


いつも死が傍らにあるような気持ちでそっと暮らすようになると
少しずつ気持ちは安定し、大丈夫と感じるようになれる
それより上に気持ちを上げてはいけない
また落ちてしまわないように、そっとそっと、平行を保つように、歩く
暮らすことに自分の精一杯をそそいで、息を少しずつ吸って、吐くようにして、静かに生きていきます

ワタシの中で

自分以外の誰も悪くないんだと
分かってるあたま

すぐに人のせいにしたがるこころ

あたまとこころの壮絶なバトル

はるの夢

家のすぐ前の広かった土地に新しい街が出来上がって、
きれいな家々と、若い家族がいっぱい

街に暮らし始めた人たちは、すぐに仲良くなっていくよう
小さな公園に、それぞれの家のお父さん、お母さん、小っちゃな子供たち、家族総出でやってきては
ひしめき合って遊んでいます ふふ 笑

うちの窓から、街全体が見渡せて、
街の様子を眺めるのが好き、、、覗き見趣味かしら、よくないかな(*ヮ*;)

暖かくなってきて、また道に人がたくさん出てきています
小さい子供のお母さんたち
幼稚園に送った帰りやらなんやらでしょうか
とても楽しそう、いつまでも仲良くおしゃべりしています

何を話しているんだろう
こんなかな、あんなかな、アフレコしてみる‥笑
ああして、近所の人とすぐに、お友達みたいになれるものなのかな、それはどうやってするんだろう
あんなに楽しそう、、素敵だな、きっと心から

人と話す
昔はもう少し自然に出来たと記憶にあります
呼吸の仕方を考えたことがないように、出来たころは何も考えずに‥
今は‥話し方が思い出せません
いろんなことが分からず苦しい

お洗濯を干しながら、楽しそうなお母さんたちをボーっと眺めている
春のせいもあり、ワタシのこころもほのぼのとしてとても幸せ気分になれます
自分もあの中にいて、楽しくしている夢を見ています

やっぱり、ワタシ

裏のきれいな奥さんに、お庭越しに話しかけられ、
「一輪車、うちの子もう使わないんだけど、もらってくれない?」とのこと

話しかけてもらったことが、とてもうれしかった

断るすべも知らず、断る理由もなく、ありがたくいただこうと

うまく受け答えしたかった
イメージしたのはやわらかい笑顔、自然な世間話に、感謝の気持ちに、相手を思いやる言葉に‥
一つも出来ず
話をしようと思った瞬間に、ひどいめまいがし、目が開けてられなくなった
やわらかい笑顔の代わりに、ひきつった、気持ちの悪い笑顔(*ヮ*;)
言葉は何がなんだか覚えてもおらず、きっととんちんかん

それは、つまり、いつもどおりのワタシ

悲しくて、悲しくて、悲しくて、
仕方がなかった

なりたいのは空気

空気には感情がないから、
ただそこに変わらずいつも存在するだけ
そんな風に本当はなりたいけど、なれない

頭では、少しずつ分かってきて
こんな風にしたい、こんな風でいたいワタシ
けれどどうしてもうまく出来ない
感情が邪魔している
ワタシのわがままな感情が
人の心に負担をかけてしまう

病院へ

自分の病気が年々ひどくなっているような気がしています

8年前、病院へ初めて行き、「病気ですよ」と言われた時、ホッとして涙が出ました
別の病院で、「この病気は一生続くものではない」「お婆さんになれば自然に治る」と言われた時、
そうかもしれないな、そんな考え方だけで、とても心が軽くなりました

ですが、そんな風にいろんな考え方一つでなんとなく自分が変われるように思っても、
現実のその場その場では、何もやっぱり変われない、ということが、痛いほど分かった8年間でした

病院では、特に話をすることもなく、麻酔のような薬をいただくだけでした
緊張を強いられるようなときに飲み、頭をボーっとさせるだけです
そんな風につきあっていくしかないと分かってきていました

新しい病院へ行き、少し‥
また、もう少し前向きに病気と向き合い、治したい気持ちを持ちました
この病気は治るものなのか‥よく分からないけれど
病気な部分は、自分自身とぎっちり絡み合っていて、病気の部分も含めて私を作っているような
病気をなくしたら、私でもなくなってしまうような‥そんなものだと感じます
この病気が「治る」というのは、どんな風にして治るのか、イメージすることも難しいと
長く、、きっと時間のかかる作業だろうと感じます、何十年とか、、
でも新しい病院で、何か前進したいです、何かをもう少しつかめたらいいな、

このままでは、やっぱりとてもつらいのです

新しい病院の先生は、話をとてもたくさん聞いてくれます
何度、受診しても変わらずたくさんの時間を使ってくださり、とても優しい先生
これまでの病院とは違うので、ちょっと期待をしてしまうのです、何かが変われるのかな、、などと
話を聞いてもらい、気持ちを受け止めてもらい、それでどうなるのか‥
わかりません、ただ甘やかしてもらっているだけとも

病院へ行く日、心がとても重く、不安定になると感じます
病院へ行くことが嫌ではなくて、自分の心と向き合うことがとても疲れるんだと思います
でもそれは、とても必要なことと感じています
この病気は、自分の未熟なこころが原因です
頑張って、ゆっくり、静かに、治療を続けたい
アセラズ、クサラズ

大丈夫

ああしなければ、こうしなければ、と義務に責め立てられ、
どれから手をつけていいのかわからなくなるのが絶望だって

あれをしなければ、これをしなければ、こうでなければいけないワタシ

だけど、そうでなくても大丈夫

あれが出来なくても、大丈夫
これが出来なくても、大丈夫
誰かに嫌われても、大丈夫
人に認めてもらえなくても、大丈夫
迷惑かけてるけど、大丈夫

そのままのワタシでも、大丈夫、
なんとか生きてる
そんな風でいい

ひとつ ひとつ ゆっくり、やれることをやっていく

何をやってるの

本人に変わってほしいと思うんではなく
家族が変わること

今の患者自身の、そのままをかっぽり受け入れるということ
そのままでいい、そのままを愛する

私たちが変わって、本人がほのぼのといられる環境をつくってあげること


出来るだろうか
とても難しく

今はまったく出来てない
やるのは自分を守ることばっか
何をやってるのかな

伝えたいのは

ズケズケと変なこと言ってしまったり、気遣いが出来ない無神経だったり、
いい加減であせらせてしまったり、
わがままで乱暴な振舞いだったりが、あなたの真面目な心を惑わせ迷わせてしまうけど、

いろいろ傷つけてばかりで

支えになれないけれど


伝えたいのは


ワタシたちは敵じゃないということ

それだけ、伝えられたらな


こころ

人の心はなんて難しいんだろうと

生きることは考えること

ひとつの現実を見ていても、それぞれにまったく違うものを見ているんだと気づいて‥
同じ事実を、まったく同じその場にいて、見て、聞いて、
これほどまでに違ったものを感じているんだと

人が考えることで、事実はいろいろな形に姿を変え、
それぞれが違う世界で生きている

そのことを知ったけれど、そして、どうすればいいのか
分からず立ちすくんでしまう

今あったこのことは、あの人にとってどんな事実だったんだろう
何をすることも恐ろしくなり

とまってしまいます

動じないココロ

家族に一番大切なこと、

それは「動じない心」とありました

多少のことがあってもじたばた動揺したりしない

動揺した心では、現実をゆがめてとらえてしまいがちだし、
動じない態度は、安心感を与えられるように思います

ワタシにはとても難しいことだけど

思いきり動じてドタbタ七転八倒繰り返した今、本当に大事なことだと感じます

まず、ハハの動揺に対し、動じないこと
それが出来るようになりたい

どうしたら

家族が病気になり、とてもつらいです

家族のことを考え、どんなにつらいことかと思ったり、

でも、それよりも、ただ自分がつらくて泣けてしまう‥
なんて、こんなときまで自分自分なのかしら‥とまた思い、
また考え
考えがどうにもまとまらず
ぐるぐるぐるぐる行ったり来たりです

分からないことがいっぱいで、
どうしたらいいのか、答えは何も出てこず、進みません

大事な言葉

「アセラズ クサラズ」

毎日繰り返し唱える

気持ちが整頓され、落ち着くように感じます

それがワタシ

相手のことを気遣う

とても苦手なことです
自分、自分ばっかりだからなんですね
ぼやっとして、神経細やかでないところもいけません
出来るようになりたいけれど、なかなか難しいです
そういう気持ちのある人になりたい

でも気がつけなくて、出来なかったことは、仕方がない
「それがワタシ」
いつまでも悩まない
そういうことに気がつけない、それが自分、それを隠したり、取り繕わなくていい

今度会うときはまた笑顔
ワタシはずっと相手を好きな気持ちでいればいい

フリマはダメ

お友達に会って、
少し、手づくりしたい気持ちがふつふつ沸いてきました

近くで開かれた1dayショップのようなところにも行き、
なんだかその気に‥
フリマのチラシなど持ち帰り、
家で眺めながらとてもやりたい~!‥となって

ちょっぴり相談してみようかと‥
夜、旦那さんに、「お話が‥。」と

顔を見てわかったんでしょうか‥
「何?フリマはだめだよ!」と‥∑(*ヮ*;)
「(赤ちゃん)まだ、無理でしょ」

う‥そりゃそうです‥でも今じゃありません、2ヶ月後‥屋内だし(でも無理か;)
だから協力頼みたかったのに‥ばかばか

「分かったよ!‥もう分かった‥フリマは一生やっちゃダメなんでしょ!?」
なぜかヤケになったか言ってしまった
妊娠中にもダメと言われ続け、その恨みがまだ残ってた‥
「うん、そうだよ!」と言われちゃった!、、言わせたのかな?‥○▲□※‥ひょぇ~

そのまま、むかむかしてしまい、沈黙、「寝る」と言ったけど、なかなか寝付けず、
(でも多分10分程で就寝‥*ヮ*;)
次の朝、仕返しで、旦那さんのお弁当に大好きな玉子焼きを入れず
冷凍食品ばっかりこれでもかと詰め込み、
「いってらっしゃい」の時に、トイレにこもりました

とってもくだらないけど‥;
とってもやな感じ
はっきり口で不満など言うことがなかなか出来ず、
そんな風にネチネチと、陰湿な性格です、嫌われる女子の代表でしょうか‥う

でも、少し気がおさまり‥
夜には笑顔になれました

フリマのことは、、やっぱりまだちょっと無理ですよね
冷静になれば分かってきました(気持ちが盛り上がるとなかなか冷静になれないのでいけません)
一生出来ないなんて、悲しすぎるけど
自分のまいた種ですね(汗)
なんかよい手はないのかな‥←^^;

ぐちゃぐちゃの日記

赤ちゃんが生まれてから、
毎日、子育て楽しく感じていました

つわりがなくなって、体調がいいのがとても嬉しいこと、
つわりの間、赤ちゃんを無事に産めるイメージが持ていなかったので、
その反動で今をとても幸せと感じ、気持ちが上向きだったと思います

つわりの間、とてもつらかったけど
(つわりくらいのことをいつまでもつらいつらいと言い過ぎですよね、*ヮ*;)
反面、少しよい面がありました
人と話すことがわりと自然にできるようになっていたこと(ワタシにしては、です)
普通の状態では、どこを見ていればいいのか分からなかったり、笑顔がひきつってしまったり‥
会話以外のことでいっぱいいっぱいになって、目が回りそう‥何を話したかなんて覚えてもられないことがほとんどとなってしまうワタシですが、そんな症状が少し落ち着いていました
多分、体がつらいために、ほかのことにあまり気を使ったり
緊張している余裕がなかったからだと思います
そうしているうちに、少しずつ、そんな自分の症状のことを忘れてきていて、
赤ちゃんが産まれてからも、そのままいけるような気がしていました
少し、上の子の時よりは、もうちょっと積極的な楽しい子育てをしたいなとも‥欲が出ました

そして今まで、生まれてしばらくは家にこもりっきりの生活で、社会にさらされないので
ストレスなく、楽しく過ごしていて忘れっきりでした、まったくお気楽主婦で‥

ですが、、ここのとこ、4ヶ月児健診(市の集団検診)があったり、
旦那さんの弟さんの結婚式に出席したり‥
急激に社会と関わり‥心が折れて、ぐちゃぐちゃです

人と関わるってことがなんでこんなに難しいのかな
人前に出ると、これまで普通にしていたことまで、何がなんだか分からなくなり‥
天地がひっくり返って、目が回り、どこを見ていいのか、今どんな顔をするときなのか‥
周りの人たちが普通に会話し、自然ににふるまっているのが、とてもうらやましく、
そのテクニックを盗みたいと思うけれど、出来ず、自分だけが何かおかしいです

礼儀作法が大切な結婚式に赤ちゃん連れで呼ばれ、(いえ、、祝う心が大事でしょうか‥;)
準備に追われ、当日のいろいろに疲れ、自分のちゃんと出来なさに目が回り、
帰ると、風邪をこじらせ、熱も出し、2日間何も出来ず、涙がとまらず、寝込みました

どうしてこんなに人と話せないのかな
笑顔が長い時間できないこと(顔の筋肉がかたまって‥)
普通の大人の人なら自然とする気遣いみたいなことが全然できないこと、わからないこと、
礼儀作法がわからないこと、常識的な会話ができないこと‥

いろいろ‥いろいろですね、、、
人として、未熟すぎるんですね、35歳にもなって‥本当に恥ずかしいことです

子どもにも‥とても悪いと感じます
ちゃんと子育て、出来るんでしょうか‥
もう5年生になるムスメもいながら、今頃何を言うんでしょうか‥
これまで、何一つちゃんとしてあげられなかったように思います、、
これから、こんなワタシが何をできるんでしょうか
子どもは親を選べませんね、、こんな、出来ない、出来ないばっか言ってる親では
かわいそうですね、、、、、、

なんだか文章がまとまりませんね、、

まとまらないまま‥ぐちゃぐちゃの日記でした○▲□※‥
プロフィール

123*

Author:123*
SADや発達障害と付き合いながら
効率悪く生きています

ワタシとダンナさん
ムスメ2人の4人暮らし

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いろいろのてづくりの記録
こころの記録を少しずつ


ミンネバナー4

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