気持ちを聞くということ

ごく小さい時から、人の悪口を聞くことが下手でした
小さい頃は、それは悪いことではないと思っていました

ですが、大きくなるにつれ、大人になるにつれ、何かが違うと感じるようになりました
人との付き合いをするうえで、悪口は避けて通れないものだと感じました
いつも悪口との付き合い方につまづく自分がいました

自分は、悪口が嫌いだから聞きたくないのかな
人間ならときには悪口の1つくらい出てくるものだし、
さらっと言えて、さっぱりしている、
それくらいの方がバランスがいいとも感じました
実際、私は、悪口を言っている人を嫌いだと思うわけではなかったし、
友達が悪口を言ったら
否定ばかりしてしまう自分は何か間違っている、
それを受け止めてあげることも出来ないといけないと思うようになりました
でも、大人になった今も、悪口をうまく聞くことがなかなか出来ません

悪口を聞くのが下手というのは、複数人でその話を聞くときに思い知らされます
自分以外の人たちはみな、すぐにその話に共感することが出来ます
詳細を聞くこともなく、
「わかる、わかる!」「それ、ひどいね!」「そういう人、いるよね!」というふうです
みなが、その反応をすると感じます
違う意見の人がいないか探しますが、あまり出会うことがありません
私だけが取り残されてしまいます

私はいつも、共感することが出来ません
悪口を言われた人の、行動の、悪さが分からないことが多いのです
全員が否定している行動の悪さを認識することが出来ない
私もその行動をしてしまうだろうし、悪口を言われるに違いない人間です
その悪口が終わるまで、私はとても居心地の悪い思いになります
悪口を言われている人に感情移入してしまうこともとても多いです
確かに、その行動はちょっとまずいな、とは思ったとしても、
そんなことを堂々としてしまうその人って面白いと思ってしまう
何かほかに事情があったのではないか、そちら側の意見も聞いてみたい、
といった具合です
一生懸命その人のために弁解のようなものまで探してしまったり、
はっきりとした事実関係が分かるまでは、感想の述べようがないとも感じます

そのことについて、以前に母と話をしたことがありました
その時に母に言われてはっとしたことがありました
「みなは、話し手の気持ちを聞いている」ということでした
私と話をすると、2人で話しているのに、途中でどこか遠くに行ってしまったように感じる
とも言われました

目からウロコが落ちたように思いました
そうか、みんなは話でなく気持ちを聞いてあげているんだ

私の場合はきっと、話の内容だけに集中してしまうのかな、
一番近くにいる話し手の心に寄り添うことが出来ないんだ
どういうことだろう、この部分はどうなんだろう、いつも詳細を知りたいと
感じてしまいます
一方だけの意見ではなく、相手側からの意見も聞きたいと考えてしまいます

そんな私とは違い、ほかの人たちが、ほんの少し話を聞いただけで、
どんどんと共感的な言葉を出せることに驚き、圧倒されてしまいます
詳しい内容も分からずに、安易にそんな反応が出来ることに不信感を抱いたりもしていました

ですが、そうではなくて、気持ちを聞くということ

気持ちを聞くということにとって、事実がどうだったかは
それほど重要なことではないのかもしれない
そのことに初めて思い当たりました

私は話の途中でどこかにいなくなってしまう‥
話し手の心から離れて、私はどこへ行ってしまうのか
話の内容‥物語の中に入り込んでしまうのかな、
いえ、ではなく、自分のことばっかりをまた考え出してしまうってことなのかな
話し手の気持ちどころか、相手の方に感情が入ってしまうなんてもってのほかですね、
話をする人にとって、なんて居心地悪く、むなしい思いをさせる聞き手だったでしょう
どうしてそうなってしまのか
まだ考えきれてないことも多く、ここまでです

気持ちを聞くということ、そのことを初めて知ることが出来、
自分が話をする時も、そうしてもらっていたことに気がつきました
そうしてもらうことで、救われていた自分のことを思い出しました
そんなことを自然に知っていたみんなのすごさも感じます
そんなことを今まで知らない自分の未熟さも思い知らされます
私にはそれができるようになるかな、
そうしたらみんなにもう少し近づけるのかな、
プロフィール

123*

Author:123*
SADや発達障害と付き合いながら
効率悪く生きています

ワタシとダンナさん
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